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2007年5月の20件の記事

劇場内は撮影禁止です

A「見つけたらすぐに報告を」
B「28列40番のお客が盗み撮りをしていました」
A「本当?」
B「これが証拠写真です」

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□ あれいつのまに一週間経ったんですか。

ジェットラグ「バラ咲く我が家にようこそ。」を観劇。
初めて見た夏目氏が好きな感じだった。
誰にも挨拶できず逃げ帰る。人間恐怖症。
日曜はアゴラの稽古場でゴドー会議。
やっつけた台本はやっぱりよくなかった。
西村さんが「ネタを一つ売って」みたいなことを戯れに言ってきたので、
ボツ集の中でも割とイケるかなと思ったのを言ったが非常にガッカリされる。へこむ。
あとは新宿で相撲部会議。ボトルキャップ片手に談義。
とりあえずは最後までプロットはできたが。これでいいのだろうか…。
久しぶりの完全フリーの日を台無しに過ごす。最低だった。
「十字星」にようやく筆を入れはじめる。
しかし資料探しはまだまだしなければいけない感じ。
明日が締め切り一発目だったのだがどうしても間に合わず…。
外に置いてある引っ越し段ボールを捨てるに捨てられず放置してある。
捨てようとすると雨が降り、晴れの日に乾かしているそばからまた雨。
今朝、猫が段ボールの上で寝ていた。でかかった。
本気で戦ったらもしかするかもしれないくらいだった。
目が合うも猫は逃げず。
近い将来、猫が家を歩き回り自分が段ボールで暮らす光景が浮かんだ。
バイトで行った千葉。田舎に行くとAD時代を思い出す。
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現代演劇暴論7「小休止」

よくよく考えたらLBって青年団リンクとか団合併してた「五反田団」とか「地点」だ。
かせきさいだぁ=前田司郎?

かせきさいだぁ「さいだー・ぶるーす」

あとそもそもなんで演劇とジャパニーズラップを対比するかという問題。
それはラッパーとは作家であり役者であり演出家であるという非常に希有な存在だからです。
作家として書きたいこと、自分ができるライミング、そして自分流HIP HOPの体現。
どんなに作家として優れていても、ライミング技術がなければ自分の歌詞をラップできません。
逆にどんなにライミングが上手くても歌詞が陳腐では相手にされません。
そしてトラックや作品の方向を自分で決め、自分で体現しなければいけません。
そこに一貫性がなく、行き当たりばったりで矛盾が起きれば「フェイク」と呼ばれる。
作家、役者、演出家、このどの要素が欠けても生き残れない。
ラッパーはひとり劇団みたいなものなのです。

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□ expop!!!!! vol.2に偵察

に行った。口琴っておもしろいですね。
こーゆー場所では音楽を味方につけるとやっぱり有利だ。
あーどうしよ。やりたいことは三つほど。
何が効果的なんだろう。それより今からやって実現可能なのはなんだろう。
その前は渋谷でゴドー会議。実のある話が一時間。まったくの駄話が二時間。
それぞれのパーソナリティを交換した、つまりは仲良くなった。
そういやこないだは公園で話して、昨日は相撲部でちゃんこ屋で話して、宮永氏と電車内とかで話して。
話してる最中はやっぱり楽しい。でも一人になると怖くてたまらない。震えて眠る。

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現代演劇暴論6「ZEEBRA=野田秀樹」

さぁどんどん自分でも何を書いているのかわからなくなってきました。

直輸入だった近代劇の言葉、しゃべり方、思想の三つの問題を口語によってクリアしたLBと現代口語演劇。
ではその他のラップ&演劇は滅亡してしまったのでしょうか。
いいえ。彼らは彼らで独自の進化を遂げ表現を向上させていきました。
それが「さんぴん世代」と「小劇場ブーム」です。

ECD主催によって行われたイベント「さんぴんキャンプ」。
その出演者達は歌詞をLBほど口語に引き寄せることはしませんでした。
しかし、不自然だった日本語のラップを日本人の生理に引き寄せ、さらに「詩」として昇華しようとしたのです。
それは新劇を少しずつ現代化していった小劇場の流れに重なります。
主な流れを作ったのはこの三人です。
つかこうへい=Dev Large(ブッダブランド)、野田秀樹=ZEEBRA、鴻上尚史=YOU THE ROCK★(雷家族)。

参考資料。
NIKE-CM Tim Duncan - ft . Dev Large

NIKE-CM Kevin Garnet - ft . Zeebra

NIKE-CM Jason Williams - ft . Twigy(YOU THE ROCK★ではないけど雷家族つながり)

とまあ少しずつ日本人が聞いても「カッコつけ」ができるようになっていくわけです。
そして段々と俗っぽくなっていくわけですね。(TWIGYはちょっと違いますが)
さらには極限まで日本人の生理に合わせることによってHIP HOPは「歌謡曲」化します。

ZEEBRA「Street Dreams」

もしくは「歌謡曲」のHIP HOP化に成功したとも言えるかもしれません。
つまり日本人の「情」の部分をラップで描くところまでやってきたということです。
野田秀樹が夢の遊民社からNODA MAPへ移行し、「スタイルのためのスタイル」から「物語のためのスタイル」へと以降したのと根底は同じです。
本質の大衆化はポジティブな発展だと私は考えます。
本質のない単なる大衆化は「セルアウト」です。
この流れは松尾スズキ、ケラリーノサンドロヴィッチ、DABO、DELI、マッカチン(ニトロ)、ラッパ我リヤ(走馬党)へと引き継がれていきます。
しかしそれぞれのやり方でHIP HOPを大衆化をしていく中、彼らは常に「ハーコー」と「セルアウト」の狭間で悩み続けることになります。

口語、セルアウト、ハーコー、この三つの中間を巧みなバランス感覚とテクニックで進み最も大衆に支持された流れがあります。
それが「後期FG」と「三谷幸喜(ウェルメイド)」です。

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□ 髪を切った、醤油は薄塩に変えた

犬の写真を載せたいがためにブログを書いた。
いつも行くATMの隣にあるタバコ屋の犬。
いつもおじいさんとこの犬がいる。
いつもカウンターに乗っている。
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現代演劇暴論5「SDP=青年団」

そして三つ目の問題「そんなこと言わねーよ」です。
「そんなこと言わねーよ」は突き詰めると「そんなこと思わねーよ」です。

SDP、キミドリ、かせきさいだぁ、脱線3、TOKYO NO.1 SOUL SET、ナオヒロック&スズキスムース。
彼らが所属したリトル・バード・ネイションは現代口語を使ってラップしました。
彼はあえて韻のしばりを放棄しました。
踏むときは踏むがそれは義務ではないと考えたのです。
だからこそ何を歌うかどう歌うかが難しくなってきます。
平田オリザが提唱した「現代口語演劇」=「静かな演劇」。
彼は不自然な日本語を極力廃し、話し言葉を使って演劇を立ち上げました。
会話の無意味さや不毛さを背負いながら作品を立ち上げようとする挑戦はまさにSDPのそれと同じ。歌詞や戯曲から「カッコつけ」の言葉を取り除くことで恥ずかしさから脱却しようとしたのです。

ここで最も重要なことは彼らの功績は「よりリアルに近いラップ・演劇を作った」ということではないことです。
まず「リアル」という言葉は大変、危険です。なぜなら万人共通のリアルというものは存在しないからです。何をリアルと思うかはそれぞれの感覚によります。だから「オレが真のリアルだ」論争が巻き起こるのです。HIP HOPでは「リアル」とほぼ同義語に「ストリート」、「アンダーグランド」、「ハーコー」などの言葉があり、ますます厄介になってきます。本来ならリアルだけどアンダーグランドじゃない、とか、ハーコーだけどリアルじゃない、とかが存在してもいいはずなんですが、「リアルでアンダーグランドでハーコー」のどれかが抜けると「フェイク」の烙印を押されてしまいます。
演劇も同じです。「リアル」だから「いい演劇」、「リアル」すぎるから「悪い演劇」の発想を捨てるべきです。語るべきは「豊か」か、「豊かじゃないか」です。

だからもう一度、LBと現代口語演劇の功績を考えます。
それは言葉の段階から現代日本人の生理に合わせることによって、今まで描けなかったものを描けるようになったことです。つまり現代の言葉を使うことによって近代の言葉では描けなかった「現代の何か」を描くことができるようになったのです。

参考資料。
スチャダラパー「サマージャム'95」

“今日も暑ーい1日になりそうです”
ほら言ってる わっ超あおられる
夏っつうと こうモーローと
してるうち翻弄されちゃうよどーも
なっ もうカーッとこられると
こっちも負けるかって気になるの
解ってんのに炎天下に
全然意味なく 家出たりしてね
そんで出た瞬間に 汗がダーッ
太陽ピカーッ 頭フラーッ
夏本番 海か?山か?
プールか? いや まずは本屋
で帰りにソバ ザルかせいろだ
それが正論 んふっ 入んないから
いっつも食ってんだけども
これが夏となると又 格別なのよ
で ふっと 外見ると子供まっ黒
プール帰りの アイス食ってんの
食ってないねーアイス 行ってないねープール
行ったねープール
みんなで徹夜あけ レンタカーで
情なかったねー海パンダサダサで
あれは笑ったなー 行きたいなー又
こんな曲でも流しながら

夏を歌った曲です。
どこかにある街のどこかにある通りの夏の風景が浮かんできます。
その「通り」は決して「ストリート」などと呼ばれる場所ではありません。
つまり従来の言葉ではきっと「ストリート」や「アンダーグランド」や「サグ」な夏しか描けなかったということです。現代口語ラップによってはじめてこの「夏」は描けたのです。
今まで描けなかったものを描けるようになる。
これはリアルかどうかはわかりませんが「豊か」なのは間違いありません。

もう現代口語演劇の功績については言うまでもないでしょう。
近代の言葉によって作られた登場人物達の「思考」は私達の感覚と次第に距離ができました。だからセリフに「そんなこと思わねーよ」とか「思っても口に出さねーよ」とか心でツッコミを入れてしまうのです。
現代の思考や人間を描くためには現代の話し言葉によるセリフが必要だったのです。
ちなみに青年団がスチャダラパーならMC BOSEが平田オリザでしょうか。
するとさしずめ岩松了はTWIGYで、宮沢章夫はECDですね。
宮沢、ECD、両氏のオーバーグランドからアンダーグランドへの変遷まで考えると意味深いです。

普段話している言葉を使って作品を作るとぱっと見なんにもすごくないように見えます。
普通の言葉を使おうとしているのですから普通に見えて当たり前です。
だからこそ何を語るかが重要になってきます。
あくまで「現代口語」でしか描けないもの、そして近代的でない分「感覚的」に私達に迫ってくるものそんな何かを描く必要があります。
LBや静かな演劇の生存率の低さがその難しさを語っているようです。

では次回はあくまでHIP HOPの思想はそのままに進化をした「さんぴん以降」と、同様に近代劇を徐々に現代風に進化させた「小劇場演劇」について語りたいと思います。

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現代演劇暴論4「なぜラップをするときにみんな中腰で手を振るのか」

今回は二つめ「そんなしゃべり方しねーよ」です。
まずは参考資料。嵐「A・RA・SHI」

ジャニーズでさえラップをするときは中腰で手を振ります。
なぜならそれが「ラップの流儀」だからです。
しかしそれは固定概念以外の何者でもありません。
それらは何かの理由があって生まれた「西洋人のカッコつけ」でした。
事実、カッコつけをしてる西洋人はカッコいいです。
ではなぜ日本人が同じようにカッコつけてもカッコよくならないのか。
それは根本的にその「カッコつけ」が日本人にあってないからです。
細かく言えば、生理・文化・思想にあってないからです。
だから人はそれらを見て恥ずかしいと思うのです。

演劇もまったく同じ構造です。
セリフを言う時は「大声で滑舌よく前を向いてお客に聞こえるように」と誰もが考えます。
それが「演劇の流儀」です。
しかしそれも固定概念でしかありません。
いわゆる「演技らしい演技」なんて少し昔に誰かが見た西洋人の見よう見まねです。
つまりそれにどんな正当な理由があったとしても所詮「西洋人のカッコつけ」なのです。
だから日本人に合わないのは当たり前の話なのです。
でもそれ以外に舞台上でカッコつける方法を知らない。
だからみな舞台に上がると西洋人のように大げさで大声で大振りになってしまう。
そしてそれを見た普通の感覚の人は恥ずかしいと思ってしまうのです。
つまり「そんなしゃべり方しねーよ」なのです。

この問題に二つの解決方法が提示されました。
1「西洋のカッコつけ方を日本人の生理にすり寄せていく」
→さんぴんキャンプ世代、小劇場演劇
2「言葉(歌詞、韻、戯曲)の段階から日本人の生理に合わせて作る」
→リトル・バード・ネイション、静かな演劇

そして、その折衷案をとったのがウェルメイドと後期FGクルーです。

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□ 本当に欲しいモノ

じゅんじゅんサイエンス「サイエンス・フィクション」を観劇。
なんで水と油を見なかったんだろう。愚かだ。
本を順々に受け渡すところと重力が床と壁に発生したところはマジックでも見てるかのようだった。
MSCの「新宿 STREET LIFE」が在庫切れ。
ECDの「失点・イン・ザ・パーク」も磯部涼の「ヒーローはいつだって君をがっかりさせる」も在庫切れ。
amazonではMSCが6800円、ECDが最高品質4800円。
どっちもお店で見てたのに。
最近ほんとCDも本も欲しいモノはお店になくて困る。
お店にないのが欲しいのか。お店にないから欲しいのか。

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現代演劇暴論3「小山内薫=K DUB SHINE」

なぜ演劇を見ると恥ずかしくなるのか。その原因の9割は「役者のセリフ」にあります。
つまり「そんな奴いねーよ」です。
これは「そんな言葉でしゃべんねーよ」と「そんなしゃべり方しねーよ」と、「そもそも、そんなこと言わねーよ」の三つの問題が重なっています。
今回は「そんな言葉でしゃべんねーよ」について考えます。

モスクワで近代演劇の洗礼を受けた小山内薫は帰国後、日本近代演劇のパイオニアとなります。
伝統芸能しかなかった日本で「近代演劇」を語ることができたのは海外で本物に触れた人間だけでした。
なぜなら演劇に「お雇い外国人」は存在せず「外国人本人」に教えてもらうことはできなかったからです。
したがって演出は見よう見まね、戯曲は翻訳という形で始まります。
そして翻訳というシステムがセリフという「話し言葉」を「書き言葉」にしてしまいました。
これによって「口語」から離れた「演劇独自の言葉」が生まれます。
つまり「そんな言葉でしゃべんねーよ」です。
そして小山内薫は新劇にとって伝説的な劇場「築地小劇場」を作ります。

一方、アメリカでHIPHOPの洗礼を受けたK DUB SHINEはジャパニーズヒップホップのパイオニアとなります。
演歌しかなかった日本で「HIP HOP」を語ることができたのは海外で本物に触れた人間だけでした。
なぜならHIP HOPに「お雇い外国人」は存在せず「外国人本人」に教えてもらうことはできなかったからです。
したがって身振りは見よう見まね、歌詞は翻訳という形で始まります。
さらに「韻」の問題が発生します。英語の韻を日本語でどう表現するか、です。
しかしパイオニアK DUB SHINEは画期的な方法で日本語の韻を成立させました。
代表曲「日出ずる処」の一部を例に紹介しましょう。

日出ずる処/K DUB SHINE

時ははるか縄文の時代に訪問 伝えに降りてきた自然と共存
森羅万象に大変リスペクト 人と環境に関係見つけ
感謝の気持ち 全ての命 豊かな実り 太陽に祈り
愛する 深める親睦 つとめて品良く ふるまう民族
耕す 美しい 山を夕焼けが真っ赤に染め
午後の六時 空が告知 栄養バランスのとれた食事
和食 伝統的健康的 今じゃ 世界中でも現象的
毎年夏に みこしもかつぎ 日本の かなり熱い
深い美意識 豪華な儀式 鮮やかな四季 心は ………

赤いところが韻を踏んでいるところです。確かに日本語で大量の韻を踏んでいます。
そうK DUBは同じ音を持つ単語をつなげ文章を作ることで「日本語の韻」を実現させたのです。
しかし…えーと…正直、えーと、その、K DUBさん…何言ってんすか…。そしてダサイ…。でもそんなK DUBが大好きなんだ。
しかしながらどう見ても日本語としてはイビツであり、「そんな言葉でしゃべんねーよ」なのです
とかなんとか言っているうちにK DUB SHINEはHIP HOPにとって伝説的なバンド「キングギドラ」を作ります。

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現代演劇暴論2「輸入された芸術・新劇とHIPHOP」

大声でセリフを言う日本の近代演劇は恥ずかしい。
恥ずかしいといえば大声でラップするジャパニーズヒップホップは恥ずかしい。
ざっくり言うと日本近代演劇とは「海外から輸入された演劇の概念、戯曲、演出の体現」でした。
その渦中にいた人間の悩みは「いかに近代演劇を日本人の身体を使って体現させるか」でした。
一方、ジャパニーズヒップホップとは「海外から輸入されたHIPHOPの概念、歌詞、音楽の体現」です。
もちろん彼らのなかにあった悩みは「いかに日本人はHIPHOPを体現させるか」でした。
ここでほぼ同じ問題が発生します。
1、翻訳から生まれた言葉(戯曲と歌詞)は日本人の口語とは遠く離れている
2、日本に王様はいない。同様に日本にギャングはいない。
  では日本人が演じるシェイクスピアは、日本人が歌うギャングスタラップは、何なのか。
ここであくまで海外の優秀な模範に日本人が合わせていく「新劇」&「ハーコー」と、
日本人に合わせ作品を作り込む「現代口語演劇」&「自然体ラップ(?)」の二つの方向へ分岐します。
近代劇つってんのにもう現代口語演劇が出てきてしまったが気にしません。
つまり海外で新劇の洗礼を受けた小山内薫はK DUB SHINEだったということです。

参考資料。DJ OASIS 「マジ興味ねぇ feat. K DUB SHINE」。

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現代演劇暴論1「暴論の定義」

これから現代演劇暴論をはじめたいと思います。
その前に正しい「暴論の在り方」を考えます。
暴論は非論理的でなければいけません。
なるべく詭弁・こじつけ・妄想などを根拠に展開し、論理を飛躍させ続けます。
この論理飛躍の力を使ってどこまで遠くに飛べるかがポイントです。
また飛躍した後の着地も非常に重要です。正しい着地点に着地してはいけません。
あさっての場所に着地したり、思いっきり転んだりしましょう。
また尻切れトンボでどこかへ飛んでいってしまうのも良いでしょう。
暴論たるもの必ず他人に論破されなければいけません。矛盾をはらみましょう。
自分で自分が言ったことを忘れましょう。同じことを何度も言ってグダグダにしましょう。
発言の責任は負ってはいけません。常にとぼけましょう。
では現代演劇暴論をはじめます。
最初のテーマは「[日本近代演劇史]=[ジャパニーズヒップホップ史]」です

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国民投票法はおかしい

ので可決するかどうか国民投票で決めましょう。

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□ 東京ノートのバラシを手伝う

と言ってもウロウロしているだけだった。もっと役に立つ人間になるのだ。
打ち上げにも参加。色々話を聞いたり。だいぶ普通に呼吸できるようになりました。
例によって稽古場で就寝。朝、起きると良い天気。
そのまま渋谷ブックファーストへ。五階建てのくせに目当ての本なし。
パルコ地下リブロへ。目的の本発見。
歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」文庫版と西原理恵子「ああ息子」を買う。
店頭で実家に配送。母の日。遅いけど。去年は「毎日かあさん」を送った。
「葉桜」のチョイスは我ながらギリギリかと思うがよかろう。
チケットショップで前売り券を買って映画館へ。
ミシェルゴンドリーの最新作「恋愛睡眠のすすめ(Science of Sleep)」を見る。
とても悲しい映画だった。

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□ 二番目の姉

□ 二番目の姉
がロンドンから出張で帰ってきた。
九段下で待ち合わせ。そんなつもりはなかったのだけど時間に余裕が。
なら行こう。近いうちに行きたいと思ってたんだ。生まれて初めての靖国参拝はとても静かだった。
人はほとんどいなかった。猫がいた。ついてったら逃げられた。
おみくじを引いた。吉だった。こないだの浅草寺は凶だった。
姉とその友人さんに焼肉をごちそうになる。劇王祝いっていつの話だ。
満腹で眠くなる。二件目にはついていかず。姉とその友人は新宿二丁目へ。
頭が痛い。足も痛い。
ねんざの応急処置は冷やすって湯治しちゃだめじゃんばか。

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団地の節句

子「うちの鯉のぼりは屋根より低いね」
父「それ持って屋上行ってこい」

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□ DE DE MOUSE in Apple Store Shibuya

お昼から所用で半蔵門へ。遅刻しそうになりあせってこける。
右足をくじく。結構、本気でくじく。
心もくじけそうになったが耐えて渋谷へ。
20時から渋谷のアップルストアでDE DE MOUSEのライブがあるのだ。
人が少なかったらどうしようかと思っていたがそんなことはなかった。
写真の通り満杯のお客さんが。ああ、DE DE MOUSEはみんなに愛されているのだなぁ。
トークショーやるとか言っていたけど急遽、ライブに変更とか言って曲をかけまくる。
周りは明るいし、お店は開きっぱだしであまり乗り切れないお客さんをみかねてDE DEシャウト。
まさかアップルストアで本気シャウトが聞けるとは思わなかった。
でもやっぱりこれが彼のライブの醍醐味だと思う。
「tide of stars」は冬に買って、冬によく聞いた。
だからアルバム全体になんとなく冬のイメージがして最近はご無沙汰だった。
そんなタイミングで聞いた夏イメージの新曲2曲はアツかった。ああ夏だ。DE DE MOUSEの夏だ。
シングルで発売するかもだそう。聞きながら夏の夜を夢想した。
「baby's star jam」も、一番好きな「supernova girl」もやってくた。
家に帰ると右足がはれていた。約一時間の湯治。
あとバンテリンがあるからだいじょうぶってラモスも言っていた。
「十字星」のチラシ用文章を考える。

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□ 東京ノート

三回目の受付手伝い。三回やっても役立たず。
三回目の観劇。三回見ても還元できず。
あとアゴラに行くと過呼吸気味になるのはなんとかしたいところ。

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5月病

A「あーあたし5月病かも」
B「あたしも。しかも去年の5月病まだ治ってねーし」
A「じゃあ10月病じゃん」
B「倍だるいし」

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□ 長すぎるGW

も終わりましたので再始動したいと思います。
どーせすぐ五月病になると思いますが。
こないだは地元から遊びに来た旧友をガイドしました。
上野行って洋食食べて、国立科学博物館行って、あんみつ食べて、浅草寺行って、もんじゃ食べました。
食べるもの全部おいしかったし、できるだけ混雑してないとこ狙ったら当たったし。まぁまぁ。
ああこれが東京物語か。

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