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2007年6月の20件の記事

□ 先のYouTubeと良い

これといい、バカバカしいことなんだけどひどく感動してしまうのはなぜなんだろうか。
そこに知恵と労力と計画性が存在してるからだろうか。
あとそれをやりきる意志。そうか意志か。そこに希望を感じるのか。
人はピラミッドだって造れるし、宇宙にだっていけるんだもんなぁ。
労力を惜しんでる場合じゃないなぁ。なまけてる場合じゃないなぁ。

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□ 忘れっぽい性格で

いつも人に迷惑かけたり、役に立たなかったり。
でも嫌なことがあったときと大好きな本を再読するときだけは、いい。
というわけで「黄金色の祈り」を再読。もう何回読んだかもわからない。
いつも脳みそが震える。死にたくなって生きたくなる。
最近、感動したの↓。

「くたばればいいのに」って思う人もいるのではないだろうか。

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□ 劇団バームクーヘン解散によせて

以下は「ドドミノ」のあとがき用に書いた文章です。
みなさまありがとうございました。

「ドドミノ」について、そして「dodomino」について

 崩壊を書きました。目的や集団や理想や関係や夏が、壊れ崩れていくところを書きました。だらしなく。バカバカしく。
 「作る」ことは大変ですが「壊す」ことも同じくらい、ときにはそれ以上に大変だと思います。「壊す」とは「止める」であり「捨てる」であり「終わる」です。ドミノも演劇も「壊す」ことを前提に組み立て、いかに「壊す」かに全力を注ぐ。潔い。美しい。ちなみに私は潔くない。美しくない。話は長い、モノは捨てられない、飲みに行けば帰るタイミングを見失い、気がつけば周りに誰もいない。せっかくの過程を結果で台無し、立つ鳥跡を濁しまくる。なぜ私は潔く「壊す」ことができないのか。いつまでも「壊す」ことができない人間にどんな「終わり」がやってくるのか。戯曲の改訂中はそんなことばかり考えていました。
 「ドドミノ」はまさに私の青春でした。大学時代に友人達と劇団を旗揚げし、その劇団の第二回公演として「ドドミノ」は「dodomino」の名で上演されました。登場人物は全員大学生。物語の舞台は大学内のプレハブ。舞台上をドミノで埋め尽くすという子供じみたアイデアに社会性のかけらもないようなセリフのやりとり。小さな世界ではしゃぎ続ける彼らは、小さな劇場ではしゃいでいた私達の姿そのものでした。その中でも一番はしゃいでいる奴、一番子どもな奴、つまりは一番バカな奴、それが高山田。そして私です。
 改訂前、「dodomino」のラストはこんな感じでした。すべてが終わり一人残される高山田。そこへドミノピザの店員が登場する。一度は絶望した高山田だったが、今度はこの店員を無理矢理ドミノに参加させようとする。くだらない会話の中ゆっくりと舞台は暗転していく。つまり「dodomino」は終わらない。終わらない物語でした。高山田は永遠に高山田のままで、夏はずっと夏のまま。それはきっと私の無意識の願望が書かせたラスト。祭りは終わらない。人とは別れない。自分は死なない。世界はなくならない。そんな幻想を信じていました。私達は永遠の中にいると錯覚していました。
 大学卒業間近この戯曲賞を受賞しました。そして何年かぶりに彼らと向き合いました。彼らは未だ変わらず永遠の中にいました。祭りは終わりました。人とは別れました。自分は死にます。世界はなくなります。全部知っています。全部理解しました。いや、そんなことは当時だって、あの夏の、あの日の、あのときだってみんな知っていたんです。知りながら必死で信じようとしていたのです。そして数年経ち、より過酷な状況になったそのときでさえ彼らと私達は信じ続けようとしていました。私は、そんな彼らと私達が愛おしかった。おかしかった。そして憎々しかった。だから
 崩壊を書きました。目的や集団や理想や関係や夏が、壊れ崩れていくところを書きました。だらしなく。バカバカしく。

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■ 「現代演劇暴論Ⅰ」本番終了しました

ご来場頂いたみなさまありがとうございました。
意外な人がだくさん見に来てくれて嬉しかったでした。
次は十字星と青年団新人創作WSと青年団企画書。
十字星は今月中に完成予定。進行率20%。
貧乏暇無しです。

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■ 「現代演劇暴論Ⅰ」稽古8日目

最後の稽古。
色んな位置でやったり。配役変えてやったり。寝ながらやったり。
本番どーせ手震えるんだろうな。お酒のんじゃえ。
あ、本番開始は22時頃を予定しております。
うちは15分で終わります。
その後、青年団新人創作稽古。
最初は3人でやってたけど徐々に増えて5人。楽しい。
今週中に台本完成予定。15分ほどの短編。
小指値の7月の本公演がおもしろそ過ぎて困る。
スコーンて。上映会て。

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■ 「現代演劇暴論Ⅰ」稽古7日目

駒場で稽古していたらドーンという音が聞こえてきた。
雷かと思ったけど天気が良かったので井の頭線が脱線でもしたのかと思った。
大変な事故らしい。ヘリコプターがものすごく集まってきた。
今週、春風舎とアゴラですごくおもしろそうな芝居がある。
けど、たぶん、きっと見に行けないんだろうなぁ。行きたいなぁ。
こんなの稽古日記でもなんでもない。
expop!!!!!に関しては特に心配はしてないです。
あとは反応しだいって感じですか。
ああ、ブログの現代演劇暴論J-RAP編ももっと更新したい。
今後の予定は、MSC=ポツドール論、ECD=宮沢章夫論、ケツメイシ=劇団新幹線論などなど。

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■ 「現代演劇暴論Ⅰ」稽古6日目

順調だと思う。割と15分があっという間な気はするが…それは自分が出ているからだろうか…。
こっちの順調さに対して「十字星」はやばい。いや別にやばいわけじゃないんだけど。
相当、遅れて迷惑かけまくってる。
それに台本を書いている時によく出る躁鬱がしんどい。
でも、もうここまできたら書くしかない。書くことでしか状況は変えられない。

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■ 「現代演劇暴論Ⅰ」稽古5日目

キーノートを作ったのでそれを使って稽古。
そこで思うのはやっぱりジョブズの凄さ。
1時間近くもカンペなしで画面も見ずに喋ってそりゃみんな見に行くよ。
あんなことできる日本のCEOいないでしょう。
っていうか米国にも少ないんだろう。
と思いつつ画面を見ながらクリックする日々。
会場のプロジェクターがダメだった時はどうしよ。

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□ 最近の佐藤雅彦

栗コーダー カルテット「おじいさんの11ヶ月」

あー「反復かつ連続」ってこーゆーことだったのか。
やっぱ情報がまったくない状態でパクると全然違うものができておもしろいですね。
他2つ。相も変わらず。

イデアの工場
http://www.adcglobal.org/awards/viewer/?id=86GD255&yr=2007&sh=annual

A-POC INSIDE
http://www.isseymiyake.com/isseymiyake.html

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■ 「現代演劇暴論1」稽古3&4日目

台本完成する。が風邪をひく。
全体を流しながら台本の微調整。動きながらやってみる。
で、台本を直して更なる稽古。稽古場の事情で立ってできず座ってやる。
思わぬ見学者に戸惑いつつも稽古。
飽きっぽい性格は演出家に向いていないのではないだろうか。

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【お知らせ】expop!!!!! vol.3「現代演劇暴論Ⅰ」

2007.6.21(木)19:00〜23:00(開演は22時頃を予定

cinra presents EXPOP!!!!! vol.3
「現代演劇暴論 I よくわかる演劇の見方」
作・演出:柴幸男
出演:こうのゆか、中田真弘、柴幸男
@Shibuya O-nest  Lounge Floor

15分ほどの短編芝居です。
ラップはやりません。
現代演劇の実情、演劇を見たことない人への観劇のHOW TO、みたいなことをやります。
ラウンジフロアは無料です。だから無料で見れます。
ドリンクオーダーとかもないです。でも飲みながらの方がおもしろいと思います。
もちろん、飲みながらやります。
後日、映像をネットにアップする予定でしたが内容上できなそうです。
「14.√1.90」の予告編は余裕があったらやります。→やりません。余裕ありません。

開演前でも会場でうろうろしてると思います。

http://expop.jp/

*本番までこの記事はトップに掲載します。

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□ かぜ

ひいた。

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□ 観劇とワークショップ見学

稽古後、池袋であおきりみかんさんを観劇。
舞監さんと再会。よくしてもらってありがたい。
鹿目さんは会うたんびに印象が変わって困る。
劇王と呼ばれていじめられた。
例によってあいさつもそこそこに逃げ帰る。病気。
地方の劇団が東京で公演することの意味とはなんだろうか。
自分が東京にいる意味とはなんだろうか。ちょっと考える。
次の日は平田オリザワークショップ@中目黒小学校を見学。
13時〜20時までがっつり。
本で読むより実際に見るとやっぱり情報量が多くていい。
想像力が足りないだけか。
ワークショップもできるようになろおっと。

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■ 「現代演劇暴論」&「14.√1.90予告編」稽古2日目

半分ほどできた台本を使って稽古。
まぁなんとかなりそう。
14.のほうは再考の余地ある。どうするべか。

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□ 「別れの唄」

をNHK教育で見る。劇場で見たので2回目。
昨日は「愛のはじまり」の受付、初日打ち上げを手伝うも例によってあまり役に立たず。
一生こんな気がする。せめて邪魔にはならないよう努力しよう。
6月とか、7月とか、8月とか、11月のことを考えて一気に重くなる。
全部、自分でなんとかするしかないしそうしたいからそうなってるけど。理想の現実化だけど。ひ弱だな。
「別れの唄」はもちろん優れた演劇作品であるけど、それと同時に国際理解の功績がものすごいと思う。
とか言って海外なんて一回しか行ったことないし、特に興味があるわけでもないんだけど。
そんな自分でも「フランス人ともわかりあえるかも」と錯覚させるだけの力があって。
それが本当かどうかはあんまり関係なくてそう感じさせるだけで単純にすごく良い現象を生んでいると思う。
別に「良い」ことをしようと思ってやってるわけでもないと思うけど「良い」ことにこしたことはないのだと思う。
で、そんなことを考えてたらなんとなく下の映像を思い出した。

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■ 「現代演劇暴論」&「14.√1.90予告編」稽古1日目

・何周も自己紹介(宮沢章夫「演劇は道具だ」より)
・ウソの自己紹介(〃)
・二人用テキスト(平田オリザ「演技と演出」より)
・電車テキスト(〃)

ワークショップで終了。
どっちも本の通りになってビビる。
やってみるのが一番ですね。

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現代演劇暴論9「RIP SLYME=三谷幸喜」

巧みなバランス感覚と高度なテクニックで最も大衆に支持された後期FGとウェルメイドについて。
FGクルーとはRhymester、EAST END、Mellow Yellowらが立ち上げたヒップホップクルーです。
後期FGとはKreva、MCU、Little(Kick the can crew)、RIP SLYMEを指します。
セールスのみで見ればヒップホップ勢の中で最も成功しているクルーです。
なおかつ、ここが一番重要ですが、リアル、ハーコー志向のヒップホップ勢にもその実力を認められている。
大衆に売れるとすぐにセルアウトの烙印を押されてしまうヒップホップ界で、ある種の奇跡的存在とも言えます。
彼らの特徴を一言で言えば「洗練」です。

LBほど現代口語ではありません。普段の言葉使いからはやはり少し離れています。
ZEEBRA達ほどハーコー志向でもありません。もう少し口語に近く、なじみのある言葉を使っています。
LBほどだらしなくはなく、ハーコーほど気取らない「洗練」された歌詞とトラック。
それが後期FGクルーです。

参考資料。
RIP SLYME「I・N・G」

KREVA「音色」

RIP SLYMEの方が洗練度が上で、KICK勢のほうが歌謡曲度が高いですね。
ちなみにRIP SLYMEはSDPとも競演しています。
最高レベルの「洗練」は現代口語と見分けがつかなくなるのです。
後期FGではありませんがこの流れにHOME MADE家族なんかがいたりします。より歌謡曲度が高まってますが。

で、これを現代演劇で考えるとウェルメイドの流れに当てはまるわけです。
ウェルメイドとは具体的に言うと、三谷幸喜、永井愛、土田英夫、マキノノゾミ等です、
最近だと赤堀雅秋、青木豪、蓬莱竜太なんかがいます。
つまり近代演劇を極限まで「洗練」させることで現代にも通用する演劇を創造した人達です。
「洗練」がミソです。完全に現代の感覚で「創造」すると現代口語演劇になってしまいますから。
あくまで近代演劇=翻訳劇のセリフやプロットが根底に生きているわけです。
そんなこと言わね、そんな言い方しね、そんなこと思わね(しない)を洗練されたセリフ、プロット、
展開、キャラクター作りで感じさせないようにする。それがウェルメイドです。
その美しさに、冷静に考えれば変なことも(大声を出す、デカイ身振り)も気にならなくなる。
またこっちも「洗練」の度合いが最高レベルに達すると現代口語とほぼ見分けがつかなくなります。

ジャパニーズヒップホップと現代演劇を広く一般に波及させたのは彼らです。
その功績の価値ははかり知れません。

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現代演劇暴論8「演劇様式のガジェット化」

完全に脱線します。
次にやろうと思っていた「現代演劇と現代本格ミステリ」を少し前倒しでやります。
というのもハイバイを観劇して思うところがあったため。メモ書き程度に。
演劇様式とミステリ様式のガジェット化について。
本格ミステリの様式として「館」や「密室」や「首無し死体」なんかがあったわけです。
しかしながら現代日本にそうそう「館」が建っているわけもなくこれはちょっと非現実的じゃないかと。
そんなこんなで松本清張の「社会派」の隆盛です。
その後、新本格と呼ばれる世代が「いややっぱり館も名探偵も密室も大事だよ」と言いだします。
新本格は様式の復権と同時にトリック至上主義でもありました。
だからあくまで彼らが言う「館」は本格ミステリの内部の仕掛け、様式、トリックの一部として存在していました。
が、メフィスト後期、というかファウスト、そもそもは麻耶雄嵩が発端の、更なる新世代が出てきます。
彼らは「ミステリのためのミステリ」という本格の大前提を意識的に無視しました。
つまり「本格ミステリ」の箱を使って中身は「別の何か」を書き始めたのです。
いわゆる「脱格ミステリ」。
彼らは「館」だけでなく「ミステリ」までもガジェットとして扱います。
そうなってくると「館」は一種の記号です。
その辺りがよくわかるのが清涼院流水「コズミック」と舞城王太郎「九十九十九」。
館のための館、密室のための密室、首切りのための首切り。
意味も動機もトリックからも解放された「本格の様式」が一体何を表現するのか。
空洞化した様式で何を表現することができるのか。
その扱い方は今までの本格ファンを激怒させるものかもしれません。
しかしそれはやはり一つの挑戦だと思えるのです。

というようなことを考えたキッカケは野鳩を見たときでした。
ほほをふくらませてむくれる「学芸会的演技」、
草を「お弁当の中にある緑の奴のデカイ版」で表現するあの感覚。
演劇様式をガジェット化して新しい何かを作ろうとしていると感じました。
またハイバイの「しわ」。
ぶっちゃけ「しわ」が出てくるハイバイの芝居は見れてません。
が、写真とかチラシで見たので色々考えてみました。
つまりかつて若者が老人を演じる時に無自覚に書いていた「しわ」。
意識的になった現代演劇人は「老人に老人を演じさせる」とか「見た目はいじらず老人に見せる」とか
「老人の出てこない話にする」という至極、真っ当な方法でその様式を捨てたわけです。
だってよくよく考えると「顔にペンで書いたしわがあるって変」だからです。
それがかつての「館」にダブるのです。
日本に西洋館がボコボコあるのって変、と根本は一緒です。
ハイバイのあの執拗な「しわ」の写真を見ると、
名探偵が腐るほどでてきてなおかつ全員にそれぞれ特殊推理を持たせた「JDC」や、
何百人もの連続殺人事件が起こる増築に増築を重ね超巨大化した「蒼鴉城」を思い出すのです。
1200人の密室首切り殺人を通して「密室」、「首切り」そのものの意味を考える。
顔中にしわを書いて若者が老人を演じることで、「演技」や「しわ」について考える。
「密室」=「しわ」の先に何があるのかを探る。
というわけで世界は違えどやってることは一緒なのかなと思ったりしてるわけです。

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□ ハイバイ観劇とゴドー稽古

ハイバイ「おねがい放課後」を観劇。ハイバイ初観劇。
こんなにも正直な作品を見るのははじめてかもしれないと思った。
演劇稽古シーンと品川vs父親のシーンと暗闇のシーンが最高だった。
ちょっとまぁ、まいっちゃう感じでした。
また最近考えている劇言語についても。
岩井氏は劇作家にとって必要な「独自の劇言語」を造りつつあるんだなぁと思いました。
ゴドー稽古はそこそこ。おでも地下に稽古場作れるようになりたいなぁ。

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名刺交換

A「どうも佐藤です」
B「あ、どうも伊藤です」
C「あ、どうも加藤です」
A「あ、どうも伊藤です」
B「あ、どうも佐藤です」
C「あ、どうも伊藤です」

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