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□ 劇団バームクーヘン解散によせて

以下は「ドドミノ」のあとがき用に書いた文章です。
みなさまありがとうございました。

「ドドミノ」について、そして「dodomino」について

 崩壊を書きました。目的や集団や理想や関係や夏が、壊れ崩れていくところを書きました。だらしなく。バカバカしく。
 「作る」ことは大変ですが「壊す」ことも同じくらい、ときにはそれ以上に大変だと思います。「壊す」とは「止める」であり「捨てる」であり「終わる」です。ドミノも演劇も「壊す」ことを前提に組み立て、いかに「壊す」かに全力を注ぐ。潔い。美しい。ちなみに私は潔くない。美しくない。話は長い、モノは捨てられない、飲みに行けば帰るタイミングを見失い、気がつけば周りに誰もいない。せっかくの過程を結果で台無し、立つ鳥跡を濁しまくる。なぜ私は潔く「壊す」ことができないのか。いつまでも「壊す」ことができない人間にどんな「終わり」がやってくるのか。戯曲の改訂中はそんなことばかり考えていました。
 「ドドミノ」はまさに私の青春でした。大学時代に友人達と劇団を旗揚げし、その劇団の第二回公演として「ドドミノ」は「dodomino」の名で上演されました。登場人物は全員大学生。物語の舞台は大学内のプレハブ。舞台上をドミノで埋め尽くすという子供じみたアイデアに社会性のかけらもないようなセリフのやりとり。小さな世界ではしゃぎ続ける彼らは、小さな劇場ではしゃいでいた私達の姿そのものでした。その中でも一番はしゃいでいる奴、一番子どもな奴、つまりは一番バカな奴、それが高山田。そして私です。
 改訂前、「dodomino」のラストはこんな感じでした。すべてが終わり一人残される高山田。そこへドミノピザの店員が登場する。一度は絶望した高山田だったが、今度はこの店員を無理矢理ドミノに参加させようとする。くだらない会話の中ゆっくりと舞台は暗転していく。つまり「dodomino」は終わらない。終わらない物語でした。高山田は永遠に高山田のままで、夏はずっと夏のまま。それはきっと私の無意識の願望が書かせたラスト。祭りは終わらない。人とは別れない。自分は死なない。世界はなくならない。そんな幻想を信じていました。私達は永遠の中にいると錯覚していました。
 大学卒業間近この戯曲賞を受賞しました。そして何年かぶりに彼らと向き合いました。彼らは未だ変わらず永遠の中にいました。祭りは終わりました。人とは別れました。自分は死にます。世界はなくなります。全部知っています。全部理解しました。いや、そんなことは当時だって、あの夏の、あの日の、あのときだってみんな知っていたんです。知りながら必死で信じようとしていたのです。そして数年経ち、より過酷な状況になったそのときでさえ彼らと私達は信じ続けようとしていました。私は、そんな彼らと私達が愛おしかった。おかしかった。そして憎々しかった。だから
 崩壊を書きました。目的や集団や理想や関係や夏が、壊れ崩れていくところを書きました。だらしなく。バカバカしく。

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