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現代演劇暴論12「舞台上で叫ぶということ」

最後の稽古オフを使って柿喰う客「傷は浅いぞ」を見に行った。
柿喰う客はその噂と元バームクーヘンの扇田氏が数度客演していることもあり見たいと思っていて今回が初見。
というのは嘘でmrs.fictionsの第二回公演の記録用(?)DVDにて短編作品は見ていた。
その作風に懐かしさと新しさと悔しさを感じた。80年代風の叫んで走って無駄に動く芝居と言えなくもないがやはりそれらとは確実に違う。
私はついこの前まで舞台上で叫ぶということに対して絶望的な気持ちになっていた。舞台上で叫ばれると一気に引いてしまうのだ。
しかし、自分で芝居を演出するとどうしても必要以上の声量を求める自分がいることに戸惑うこともあった。
一昔前の小劇場演劇では「テーマ」「哲学的な台詞」「感情的な台詞」「道徳的な台詞」「難解な台詞」「悲鳴」「雄叫び」が主に叫ばれていたように思う。しかし、私達は、少なくとも私は上記の様な内容を舞台上で叫ぶ演出を生理的に受け付けることができない。そのような感覚が多くの会話劇、口語劇を作ってきた。その結果、多くの芝居は静かになっていった。だがやはり、私達は知っているのである。大声を出す人間の面白さを。
舞台上で叫ぶことは恥ずかしい、しかし、舞台上で叫ぶことは面白いのである。
では問題は「何を叫ぶか」だと気づいたのはここ最近である。
「柿喰う客」は新しい叫びの方法を教えてくれた。
それはテキストのユニークさ、である。もしくは意味からの解放。ほぼ全編に台詞の意味を相殺するほどの無意味な擬音や、ギャグや、オマージュなどが一つの徹底したセンスによって編み込まれている。もしくはもうナンセンスそのものの場合もある。
注目すべきはその台詞の無意味さが「全編」に及ぶことだ。前半は無意味な叫びで楽しめたのに後半にやけに直接的な台詞になる芝居は多々ある。
無意味な部分が60%、70%、80%、と比率が上がることもある。しかしやはり最後は物語にとって重要な「テーマ」に近い雄叫びをあげる。
しかし、柿喰う客はそうではなかった。全編だった。全編そうだった。
いやむしろ後半に行けば行くほどその「無意味」さは増幅していった。
舞台上にはところ狭しと走り回り、大声で叫ぶ4人の若者がいた。
彼らを見て私は一人勝手な絶望に陥っていたことを恥じた。ここにもまた演劇と戦っている人間がいた。私よりももっと堂々とした戦い方で。

「14.√1.90」のアフタートークのゲストが決定しました。
前にも書いた通り、11/28は田上豊氏(田上パル)、11/29は篠田千明氏(小指値)。
そして未定だった11/27のゲストは柿喰う客の作・演出家 中屋敷法人氏です。

次は、また別の方法で舞台上での叫けびを教えてくれた、また自分がやりたいとい思っていたことをほぼすべてやられてしまったと思った田上パルとその作・演出家 田上豊氏について書きたいと思います。

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