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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか1」

現段階であゆみは一切できあがってなどいない。正規の台本は1ページもない。
その「あゆみ」をどうやって作るのか。結果どう完成したかではなく今からいかに完成に導くか。
その一部始終を公開したい。創作とその解説を同時に行う。
なぜだかそんなことをやってみたい気持ちになったのである。
おそらくもう自分には隠すことなどなにもなくなったからかもしれない。でがらしだ。

「あゆみ」はその名の通り、「歩む」演劇である。
演劇は空間を切り取らざるえない。
どこであるとしても、演劇で語られるのはどこかにとどまった場所である。
色んな場所をワープしてどんなに細切れに描いたとしても空間は固定されたものであることには変わらない。
電車内、飛行機内、船上の芝居はどうか。
船が動いていたって甲板が別の場所に変化しているわけではない。
どこでもない場所を描いた芝居はどうか。
いくら抽象化されようが、やはりそこは固定された空間である。
ロードムービーというジャンルがある。どこかに移動し続ける物語だ。
ロード演劇は不可能なのか。
人には移動中でしか語らない事柄があるのではないか。
そられを演劇は描くことができないのだろうか。
「あゆみ」は移動し続ける演劇への挑戦である。

参考作品一発目はみんな大好きミシェル・ゴンドリー監督/カイリーミノーグ「Come into my World」。
「反復かつ連続」の元ネタになった作品である。
全編カメラが移動し続ける。と同時に「ループ」する。
しかし「あゆみ」はループをモチーフとはしない。
ループはもう飽きた。帰結が発端に輪廻する物語はもう飽きた。
移動し続ける者にあるのはどこまでも続く道だと思う。

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