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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか4」

なぜ「走る」ではなく「歩く」なのか。
歩く、にはさりげないけなげさが存在するからではないだろうか。
走る、は少々押しつけがましいのである。
また「走り続ける」ことは個人の能力に左右されるが、「歩き続ける」ことはほぼ万人に可能だ。
それゆえに「歩く」という行為がどういうものなのか考える機会はすくない。
今までで一番楽しかった日も、今までで一番悲しかった日も、どこかで1歩は歩いたはずだ。
それはいつもの1歩とは違うのだろうか、それとも同じなのだろうか。
同じ角度で同じ場所に足を置けば、その時に戻れるのだろうか。
そんなことを考えている。
参考資料は松浦雅也/PS「ビブリボン」。
ほら、ビブリのけなげさと愛らしさったらないでしょ?

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