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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか6」

映像の世界には長回しの美学みたいなものがあって同じおもしろさなら長回しの方がエライことになっている。
なっていない。デタラメだ。
でも映像でカットを割らずに作品を作ろうとしたらやっぱりそれは大変なのだ。単純に。
なので優れた長回しは感心と感動の両方を観客に与える。
さらにCGの発達がこの長回しの美学に変化をもたらした。
今までの長回しではなんとなくその努力の幅が知れたわけだが、巧妙に仕組まれたCG長回しはもはやどうやって作ったのかわからない作品になる。感心と感動と不思議を観客に与えるようになったのである。
だからCG万歳ちょろいもんだよね、とはいかない。実は、巧妙なCGは突出したアイデアと通常の長回し以上の労力が必要なのである。
バレバレのCGではあーコンピューターでちょちょって作ったんでしょ、と思われてしまう。
そう思われないように配慮しつつ、摩訶不思議な映像を作らねばならない。これが難関なのである。
その天才がミシェルゴンドリーだ。
前出の参考作品を見てもらえればわかっていただけると思う。
では日本でこれに成功した作品を紹介したい。
ミシェルゴンドリーほどの超絶技巧ではないが楽曲とのマッチもあって優れた作品であると思う。
当然、歩き続けている作品だ。
信藤三雄/Mr.Children「NOT FOUND」

今HP見たらホワイトバンドのアートディレクションってCTPPだったんだ。おーい。
そりゃみんな騙されるわけだ。確かにあのビジュアルには力はあった。

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