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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか8」

錯視と、複数人一役について。
以前にも書いたが今、舞台上の錯視・錯聴に興味がある。
見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる。観客全員をそんな状況にしたいのである。
その一つで注目しているのが複数人一役。要するに、二人一役とかいうやつである。
自分がこの方法に魅力を感じているのは自分の中にある仮説があるからだ。
それは、この方法によって「ノンフィクション(俳優、の肉体、の声、自身)に依存せずにフィクション(作中人物)を立ち上げることができるのではないか」という仮説である。
かつての演技は「俳優(100%)=登場人物(100%)」、つまり「なりきること」を目指した。
それに異を唱えた現代口語演劇の演技スタイルは「俳優(X%)+登場人物(Y%)=100%」だと思う。
つまりその俳優自身の存在をある程度認めた上で現実を削りつつ虚構を足していく、そんな作業だ。
優等生的目標値は「俳優(50%)+登場人物(50%)=100%」じゃないだろうか。
それ以上に俳優が見えると「素」、それ以上に演技が見えると「過剰」、にうつる。
ではここに複数人一役をぶち込んでみる。するとこんな計算ができる。
「俳優(80%)+登場人物(20%)=100%」×5人→登場人物(100%)
もちろんおしりには「+俳優(400%)」がくっつくわけだが。
しかし5人で演じることによってアベレージ20%という非常に弱いレベルで100%のキャラクターを創造することができるのだ。理屈では。
「ゴーストユース」の概要を聞いて、思ったことはこれだ。つまり学生20人主婦一役でこーゆーことができたのではないだろうか。
どの役者にも定着しない、透明な幽霊みたいな、しかし確実に存在する、フィクションが立ち上がりつつあったのではないだろうか。
もしそれができたら、そんなことが可能だったら、想像しただけでゾクゾクする。
そんなことを考えつつ参考資料。野田凪監督/YUKI「センチメンタルジャーニー」
複数人一役。長回し。錯視によるストップモーション歩行。めじろおし。

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