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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか9」

アイデア一点突破型創作方法について。
なぜ、あるアイデアを突き詰めて作品を作ろうとしているのか考える。
例えば「歩く」という方法をもっと大きな物語の最も効果的な場所で使えば良いのではないか。
ひとつにそこに美学を感じるから。潔さとも言える。
この方法で作られた作品は大抵、非常にシンプルに出来上がる。
しかしその裏にはシンプルであるが故にどこからも崩せない複雑で堅牢な構造がある。
そこにしびれるあごがれるのだ。
またふたつ目にストーリーではなくプロットに興味があるからだ。
ここで言う「プロット」とは物語が持つ構造、図形、模様、のようなものを指す。
井上ひさしが言うところの知恵ある仕掛け。
ストーリーが表面化して展開するものならプロットは潜在的に点と線を紡ぐ。そして何かを形作る。
以前は否定的だった「ストーリー飽和論」に現在はやや賛成だ。
もうパターンは出尽くしたのかも知れない。
しかし悲観はしない。むしろ優れたストーリーを上手く使えばいい。
そのかわり、新しいプロットの発明こそが劇作家にとって必要だと思う。
プロットをどうやって考えるかは人それぞれだろう。
いきなり完成図が浮かぶかもしれないし、稽古場で偶然出来上がるかも知れない。
見たことのないストーリーを作ろうという努力が結果、新しいプロットを発明することもある。
そこで自分の場合はあるアイデア・不確定な図形をとことん突き詰めてみる、である。
ストーリーは放棄する。というよりかは常にプロットに先行させる。
本来、ストーリーの後を静かに追いかけるプロットに物語を紡がせる。
そこから今までになかった物語を立ち上げようというたくらみである。
だからよりシンプルなアイデアをどこまで突き詰めるか、という考え方で今は創作している。
しかし、この方法もそう長くは続かないだろう。
アイデアとやらが浮かばなくなったらおしまいかもしれない。
それに、これにはもしかしたら演出家の仕事が混じっているかもしれない。
劇作家は使い捨てではなく、発明したプロットを長年かけて洗練させるべきかもしれない。
一人の作家が発明できる新しいプロットなど10にも満たないと思う。
あとはその得意技、自分の世界をどう組み立てるか、どう見せるかの積み重ねのような気もする。
基本が同じプロットだとしても、その組み立て方でまったく異なる物語は出来上がる。
とまあ考えるときりがないので今日はここら辺で。
参考作品は監督はSDP自身ともタケイグッドマンとも言われてるPV。
スチャダラパー「Let It Flow Again feat.ロボ宙」。
アイデア一点突破。低コスト。誰もいないのに誰かいる、歩いてないのに歩いてる、そんな錯視。
カメラと車とプロジェクターが一台ずつあれば作れる、のになんて良いのだろう。

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