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2008年1月の29件の記事

現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか12」

長回しの美学の延長。
つまり長回しには膨大な段取りがついて回る。もちろん練習が必要だし、ミスればはじめからだ。
この緊張感にみんな心ひかれるのでは。
この2つとも裏ではスゲーどたどた動いてるだろうし、カメラマンはコースを絶対にはずれらんないし。
歌とメンバーが合うように構成して、動線を作って、見切れないようにして、照明も明るすぎず暗すぎず気を使って。
それが完成したときには流れるような美しさがある。
美しさのためにみな努力するのだ。
RIP SLYME「黄昏サラウンド」



RIP SLYME「熱帯夜」



特に熱帯夜は場所は狭そうだし、人は多いし、小道具あるし、エロいし、大変だっただろう。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古17日目

池袋で小道具と新幹線の切符を買って稽古場へ。
今日は昼から稽古。しかし寝不足。つらいながらも最後までいけた。
そして超難所をもっともっとキレイにできるように稽古。
だめだ最後までいったせいか急に抜けた。私が。
へにゃへな。だめだ。ただ最後までいっただけなのに…。
衣装合わせ。あれ目がちかちかするよ。明日に持ち越し。
とか言って後半の時間を計ったら15分もあるじゃなーいー。これはかなりのピンチだ。
いやだいじょうぶですよ刈馬さんちゃんとあの20分内におさめますので…。ほんとに。
稽古終わりにアトリエ春風舎による。革命日記の初日だったのだ。
行ったらいきなり盛り上がってる。あれ。
みんな初日あけて酒飲んでたのしそーだなこのやろーうらやましなーこちとら3日までおあずけだ。
宮永氏と事務的な話をして、一杯だけオリザさんにおごってもらって、中村さん&大久保さんの料理を一口いただいて帰る。
あーオリザさんに阪大のアンドロイド教授のことについて聞きたかったのに。
いやあの人はすごい。いかに役に立つか、ではなくいかに人間に近づけるのかという視点でロボットを作ってるのがいい。
そういう人ももちろん必要なのだ。アップルストア行きたいなー。
夜に刈馬さんから電話。少しほっとする。
やることもメモ更新。ぼちぼち。
・販売用台本の印刷・作成(あゆみの台本をキレイにする)→終了(発送作業は未)
・劇王ベルトを名古屋に発送(できれば台本も)→終了(ドドミノのみ発送済み)
・小道具を買う(池袋)→終了
・目覚まし時計を修理に出す&買う(今村君の不在中に壊した)
・衣装を決定する
・新幹線のチケット予約&座席予約→終了
・保険証と印鑑を持って行く(親からの指令)→準備完了
・地元の友達に連絡(劇王終了後遊ぶため)
・御前会議の稽古スケジュール決定&メール送信
・御前会議の出入りプロット表を作る→終了
・御前会議の配役を決定
・御前会議の台本を渡す

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか11」

タイムラインという言葉がある。「ライン=線」とは点と点の距離である。
つまり時間は距離によって表すことができる。
時計は針が進んだ距離で見えない時間を示している。
一定の速度で進む物体の時間は進んだ距離でわかる。昔習ったおはじきだ。
あゆみは舞台上を歩き続ける。
その方向を制御する。ある一定のルールで規定する。
すると舞台上に正の方向というものが自然に生まれる。反対側はもちろん負の方向だ。
さらには、その方向を歩き続ければ現在、走れば未来、戻れば過去というルールが自ずと出来上がる。
この効果を利用すれば物語の時間軸を操ることができる。
しかもタイムトラベル的なワープの感覚ではなく、タイムライン=道を行き戻りする感覚である。
この方法が与える印象は、多くのタイムトラベルが与えるパラレルワールド的な印象とは違うものだ。
過去も未来もそれほど遠い印象ではない。
それはかつて通った道であるし、これから通る道でしかないのだ。
参考資料、ケツメイシ「トレイン」。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古17日目

今日はチャンピョンベルトを長久手に送って池袋で小道具見て稽古。
今日はインパラプレパラートの大矢場さんとか青年団の能島さん含め4名の稽古見学の方が。
久々の大人数で稽古場もにぎやかなんだかどうだかわからないうちにどんどん先へ。
先には進むがまだまだ荒いなー。荒すぎる。これが普通にできるようになるだけでいいんだ。
家に帰って作業してお風呂を溜めてたら今村氏帰宅。
久々だ。目覚まし時計を壊したことを謝罪する。ごめんなさい。
ああ、そうだ。ブログに小指値篠田氏からのコメントがいきなりあってビビった。
篠田氏緊張すんだよなー。中屋敷氏もそうだけど。
アカデミックすぎんだよあの二人。
言ってることはなんとなくわかるんだけどこれであってるのかなって思っちゃうところがビビッてる証拠。でも応援ありがとーっす。心強し。ヒドミに合わせて帰京します。よこた君もありがとう。
やることメモ更新。
・販売用台本の印刷・作成(あゆみの台本をキレイにする)→終了(発送作業は未)
・劇王ベルトを名古屋に発送(できれば台本も)→終了(ドドミノのみ発送済み)
・小道具を買う(池袋)
・目覚まし時計を修理に出す&買う(今村君の不在中に壊した)
・衣装を決定する
・新幹線のチケット予約&座席予約
・保険証と印鑑を持って行く(親からの指令)
・地元の友達に連絡(劇王終了後遊ぶため)
・御前会議の稽古スケジュール決定&メール送信
・御前会議の出入りプロット表を作る
・御前会議の配役を決定
・御前会議の台本を渡す

全然、終わってねー。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古16日目

今日も今日とて同じシーンの稽古。完成のめどは立たない。
一応の形はできるが一度も誰もミスらずできない。
だいたいみんな歩くのに必死すぎてまともな演技ができない。
ないないづくめだ。わーい。
中島さんから借りていた無機王の「僕の腕枕、君の蟹ばさみ。」をお返しする。
中島さんをはじめて見たのはこのときだった。内山さんが客演しているので見に行ったのだ。
その時は全然知らない劇団だったのでまったく期待していなかった。
そしたら面白かった。とくにラストのあの技に感動した。
それと中島さんの中学生姿にぶっ飛んだ。
後に乞局を見て、同一人物だと気づかなくて後で中島さんが出てたことを知ってもっとぶっ飛んだ。
だから今回、お願いしたのだった。
過度な演出要求のたびにする鬼を見るような目が印象的だ。
稽古日記でもなんでもないけど超個人的やることメモを書く。
・販売用台本の印刷・作成(あゆみの台本をキレイにする)
・劇王ベルトを名古屋に発送(できれば台本も)
・小道具を買う(池袋)
・目覚まし時計を修理に出す&買う(今村君の不在中に今村君の目覚ましを壊した)
・衣装を決定する
・新幹線のチケット予約&座席予約
・保険証と印鑑を持って行く(親からの指令)
・地元の友達に連絡(劇王終了後遊ぶため)
・御前会議の稽古スケジュール決定&メール送信
・御前会議の出入りプロット表を作る
・御前会議の配役を決定
・御前会議の台本を渡す

あー前田司郎が岸田戯曲賞とったー!
余計、2月が楽しみになったー!

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古13日目&14日目&15日目

13日目には青年団の山内さんが見学にきてくださいました。
お団子をいっぱい差し入れてしていただく。とてもおいしくてわたくしと中島さんは三本もたいらげた。
しかし稽古は難航。なんとか無理矢理進めるがどこかボタンが掛け違ってる。
稽古終了後にあと6日と言ったら山内さんが驚いてた。いやそうですよね。
迷走するだけ迷走して終了。もうだめだ。間に合わん。
14日目。
けっきょく昨日作ったシーンを丸々作りかえる。
うん、こっちのがいいこっちのがいいが時間がない。寒い。眠い。怖い。
もう愚痴しか出てこない。家に帰ってメールしたり仮チラシを作ったり作業。
もうだめだー。我がチームは名古屋入り後もばんばん稽古する気でいる。
ていうか稽古しないと間に合わない。稽古しても間に合わない。
もう一ヶ月ください。
15日目。
稽古が全然先に進まないので眠れなくなった&悪夢を見たと中島さんに訴えられる。同感だ。
深雪さんはなんとかなるでしょと尋常じゃない発言をする。どっかぶっ壊れてるんだろう。
内山さんは家のガスが故障してそれどころじゃない。
もうだめだ。ここにきてチームの気持ちはバラバラだ。
今日はよこた君が見学に来てくれる。
2ページぐらいを延々2時間稽古する。そりゃ見学してる人の口数もへるわ。
寒い。眠い。どっか南の島でのんびりしたい。

しかし余裕がなくなると役者使いが荒くなるのは直した方がいい。
こんなこと続けてたらいつかボイコットされるだろうし、自己精神衛生上にもよろしくない。

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□ 稽古が休みなので日記

劇王最終稽古休み。しかし進行具合から行くと休んでる場合ではない。
内心怖くて仕方がない。情けないようでたくましくもある。
最後の空き時間を使って15mm vol3を見に行く。今月の観劇はこれのし。
隣にいても一人は結局どの回も見られそうもない。申し訳なさすぎる。
帰ってきてゴハン作って食べて、仮眠して寝起きに野田秀樹の「THE BEE」を見る。
日本バージョン。1時間の少人数芝居ってタイトでいい。もう3時間とかやめね。
最後に野田秀樹が自分の指を切って送ろうとするっていうのもいいと思うけど、
あのまま妻と子供を切り刻んでお互いに送り合って最終的に自分の妻と子供が完成して、
帰らずとも我が家に帰るっていうオチだったらもっとよかった。
原作はどうなんですかね。以上ネタバレでした。
深夜二時からファミレス行って台本完成。あと御前会議の仮チラシを作る。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古11日目&12日目

なんでこの日に稽古写真を撮らなかったのか。
青年団同期木引氏、前回のtoi2に出演してくれた高橋氏を含めて4名の稽古場見学。
多いギャラリーに役者さん達のテンション微妙に上がる。
たくさんの差し入れをもらってしまう。ありがとうございます。
とくにずんだ餅。凍ってて食べられませんでした。
新しいシーンへのアイデアを試すもののうまくいかず稽古終了。
あ、初稿が上がったのがこの日だったはず。
見学の方々がお帰りの際にみな言葉少なげなのが気になる。あれ、この芝居だめ?
あ、木引氏が無くした定期がそっこー見つかってやっぱり世の中捨てたもんじゃないことが二度も証明された。
稽古後、池袋で仮チラシの会議。次と次の次。

次の日は従来通り4人で稽古。少し寂しい。
雪が降った。けど稽古時間には全然雨。雨が降るくらいなら積もって欲しい。
いまできるとこまでを通す。9分。やっと半分。残りで半分作れるのか不安になる。
通しを撮ったビデオをみんなで見る。まぁまぁ。みんな不満げ&不安げ。
休憩に昨日いただいたずんだ餅を食べる。うまし。
新しいシーンに突入。全然うまくいかない。比喩ではなく頭が痛くなる。
稽古後、あしたが最後の稽古休みということもありみんなで飲みに行く。
しかも初飲み。顔合わせみたいな雰囲気だった。楽しくも寒い夜だった。早く夏よ来い。
Kc3a0061

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか10」

ミクロからマクロへ。
というのはno art no lifeの温水洋一の台詞だけど「歩く」という行為はまさにそれだ。
去年、反復かつ連続のあらすじを書くときに人が一生に歩く距離を調べたのだけど、その長大さに驚いた。
歩くというパーソナルな行為が、結果地球レベルの距離に到達するというマジックである。
でもやっぱり多くの人間は生まれ育った場所からあまり移動しない。
長大な距離を進んでいるはずなのに、どこからも移動していない。
その矛盾にどんな感想を抱くかは人それぞれだろう。
資料映像は雪が降った記念。
以前にも紹介したHALFBYシリーズの別作品。ミクロからマクロへそしてまたミクロへ。
HALFBY「STAR TRACK」

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか9」

アイデア一点突破型創作方法について。
なぜ、あるアイデアを突き詰めて作品を作ろうとしているのか考える。
例えば「歩く」という方法をもっと大きな物語の最も効果的な場所で使えば良いのではないか。
ひとつにそこに美学を感じるから。潔さとも言える。
この方法で作られた作品は大抵、非常にシンプルに出来上がる。
しかしその裏にはシンプルであるが故にどこからも崩せない複雑で堅牢な構造がある。
そこにしびれるあごがれるのだ。
またふたつ目にストーリーではなくプロットに興味があるからだ。
ここで言う「プロット」とは物語が持つ構造、図形、模様、のようなものを指す。
井上ひさしが言うところの知恵ある仕掛け。
ストーリーが表面化して展開するものならプロットは潜在的に点と線を紡ぐ。そして何かを形作る。
以前は否定的だった「ストーリー飽和論」に現在はやや賛成だ。
もうパターンは出尽くしたのかも知れない。
しかし悲観はしない。むしろ優れたストーリーを上手く使えばいい。
そのかわり、新しいプロットの発明こそが劇作家にとって必要だと思う。
プロットをどうやって考えるかは人それぞれだろう。
いきなり完成図が浮かぶかもしれないし、稽古場で偶然出来上がるかも知れない。
見たことのないストーリーを作ろうという努力が結果、新しいプロットを発明することもある。
そこで自分の場合はあるアイデア・不確定な図形をとことん突き詰めてみる、である。
ストーリーは放棄する。というよりかは常にプロットに先行させる。
本来、ストーリーの後を静かに追いかけるプロットに物語を紡がせる。
そこから今までになかった物語を立ち上げようというたくらみである。
だからよりシンプルなアイデアをどこまで突き詰めるか、という考え方で今は創作している。
しかし、この方法もそう長くは続かないだろう。
アイデアとやらが浮かばなくなったらおしまいかもしれない。
それに、これにはもしかしたら演出家の仕事が混じっているかもしれない。
劇作家は使い捨てではなく、発明したプロットを長年かけて洗練させるべきかもしれない。
一人の作家が発明できる新しいプロットなど10にも満たないと思う。
あとはその得意技、自分の世界をどう組み立てるか、どう見せるかの積み重ねのような気もする。
基本が同じプロットだとしても、その組み立て方でまったく異なる物語は出来上がる。
とまあ考えるときりがないので今日はここら辺で。
参考作品は監督はSDP自身ともタケイグッドマンとも言われてるPV。
スチャダラパー「Let It Flow Again feat.ロボ宙」。
アイデア一点突破。低コスト。誰もいないのに誰かいる、歩いてないのに歩いてる、そんな錯視。
カメラと車とプロジェクターが一台ずつあれば作れる、のになんて良いのだろう。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古10日目

昨日、間に合わなかった所を作り直してさらに全体の稽古して。
今回、ほとんどの稽古時間を人物の出し入れに使ってるわけでふとした瞬間に芝居の精度について一気に不安になる。
で、やってみるとうまいんだよなーこの人達。この方々にお願いしてよかった。ほんと。
しかし内山さんとはつくづく友達になれないと思う。
互いにそう思い合ってる。話題のチョイスとかいちいち気が合わない。
よく去年はこれでやってたな。やれてなかったか。
最後はケンカして名古屋を離れた。優勝したのに。
もーとにかく最後までやってみることにしてみた。
こんなもんおでの頭で一人で考えててもできねー。
あったま悪いもんでトライ&エラーしかねえ。
想像もできないような作品は想像できません。
というわけでスパートかけてガリガリ書いてみる。
あ、色んな方々から稽古見学のお声がかかりうれしい。
毎日全員てんぱってます。助けてください。

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか8」

錯視と、複数人一役について。
以前にも書いたが今、舞台上の錯視・錯聴に興味がある。
見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる。観客全員をそんな状況にしたいのである。
その一つで注目しているのが複数人一役。要するに、二人一役とかいうやつである。
自分がこの方法に魅力を感じているのは自分の中にある仮説があるからだ。
それは、この方法によって「ノンフィクション(俳優、の肉体、の声、自身)に依存せずにフィクション(作中人物)を立ち上げることができるのではないか」という仮説である。
かつての演技は「俳優(100%)=登場人物(100%)」、つまり「なりきること」を目指した。
それに異を唱えた現代口語演劇の演技スタイルは「俳優(X%)+登場人物(Y%)=100%」だと思う。
つまりその俳優自身の存在をある程度認めた上で現実を削りつつ虚構を足していく、そんな作業だ。
優等生的目標値は「俳優(50%)+登場人物(50%)=100%」じゃないだろうか。
それ以上に俳優が見えると「素」、それ以上に演技が見えると「過剰」、にうつる。
ではここに複数人一役をぶち込んでみる。するとこんな計算ができる。
「俳優(80%)+登場人物(20%)=100%」×5人→登場人物(100%)
もちろんおしりには「+俳優(400%)」がくっつくわけだが。
しかし5人で演じることによってアベレージ20%という非常に弱いレベルで100%のキャラクターを創造することができるのだ。理屈では。
「ゴーストユース」の概要を聞いて、思ったことはこれだ。つまり学生20人主婦一役でこーゆーことができたのではないだろうか。
どの役者にも定着しない、透明な幽霊みたいな、しかし確実に存在する、フィクションが立ち上がりつつあったのではないだろうか。
もしそれができたら、そんなことが可能だったら、想像しただけでゾクゾクする。
そんなことを考えつつ参考資料。野田凪監督/YUKI「センチメンタルジャーニー」
複数人一役。長回し。錯視によるストップモーション歩行。めじろおし。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古9日目

今日は稽古場に小指値・野上氏が見学に来てくれる。
「あまおう」のお菓子を持ってきてくれた。ダジャレだ。
あと、遅れて宮永氏も到着。ビデオも導入。
うーん。後半への入り方に悩む悩む。
20分って短いなー。やるまえは途方に暮れるほど長く感じてたけど。
上手くプロットとストーリーを組み立てないと。
丁寧に説明してるヒマはないのだ。要点だけ押さえて飛ばねばなるまい。
帰りにヒドミの話を聞きながら。楽しみだ。
あ、定期が届けられていた!
ありがとう人類。人間はまだ終わってない。
地球もまだまだ捨てたもんじゃない。がんばるぞ。
Kc3a0060

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古8日目

今までの復習と新しくできた台本を稽古。
稽古途中に春風舎に行って木元氏よりビデオカメラを借りる。
これでいくらか稽古が楽になるはず…。
稽古終了後、春風舎で通し稽古をしていた「革命日記」の方々と台湾屋台村へ飲みに行く。
定期は無くすわ、遅刻はするわ、これを飲まずにおりゃろうか。
途中から富士見で稽古中の多田氏も来て楽しい。
ほろ酔いで終電で帰る。
日暮里のホームで家主今村氏と遭遇。今村氏もほろ酔いだと言う。
どっちが酔ってるか勝負だ、と酔拳をしたら「俺の負けだ」と即座に降参される。
試合に勝って勝負に負けた。

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか7」

解説は休み。参考作品のみ。
pizzicato five「陽の当たる大通り」。


自分が持っている歩行の悲しくも陽気な原風景はこれか。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古7日目

昨日は稽古の帰りに初雪を見た。そしたら警察官に呼び止められた。もー無罪ですよー。
そして本日はとても広い稽古場。ここだとアクティング+袖のすべての実寸がとれる。素晴らしい。
ここで今までやってきたことが本当に実現可能かどうか試してみる大会。
いやー厳しい戦いだった。色々と改善しなきゃいけないし、なによりも現場勝負だなー。
稽古したい気もしてたけどなによりも前ノリだと再確認。
これ見てる人はわかるのだろうかといまさらながら不安になってきた。うーん。
そしてなにより役者さんの消耗が激しすぎる。昼夜稽古とかできるんですかね。
怪我には気をつけてください。ほんとに。まじで。
広い稽古場。
Kc3a0059

微動だにせずもくもくと休憩する役者の皆様。
Kc3a0058

帰りに気がつく。どうも定期なくしたくさい。あーまだ半分も残ってたのに。
テンションだだ下がり。帰ると稽古見学希望さんのメールが2通。
少し回復。場所と時間聞いてやっぱ無理とか全然平気ですのでまだまだ募集中です。
今年は東京プレビューがない(できない)分、稽古場で色んな人に見てもらいたいのです。
6間×2間のフリースペースがあったら東京でもプレビューやります。ねーよそんな場所。公園か。

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか6」

映像の世界には長回しの美学みたいなものがあって同じおもしろさなら長回しの方がエライことになっている。
なっていない。デタラメだ。
でも映像でカットを割らずに作品を作ろうとしたらやっぱりそれは大変なのだ。単純に。
なので優れた長回しは感心と感動の両方を観客に与える。
さらにCGの発達がこの長回しの美学に変化をもたらした。
今までの長回しではなんとなくその努力の幅が知れたわけだが、巧妙に仕組まれたCG長回しはもはやどうやって作ったのかわからない作品になる。感心と感動と不思議を観客に与えるようになったのである。
だからCG万歳ちょろいもんだよね、とはいかない。実は、巧妙なCGは突出したアイデアと通常の長回し以上の労力が必要なのである。
バレバレのCGではあーコンピューターでちょちょって作ったんでしょ、と思われてしまう。
そう思われないように配慮しつつ、摩訶不思議な映像を作らねばならない。これが難関なのである。
その天才がミシェルゴンドリーだ。
前出の参考作品を見てもらえればわかっていただけると思う。
では日本でこれに成功した作品を紹介したい。
ミシェルゴンドリーほどの超絶技巧ではないが楽曲とのマッチもあって優れた作品であると思う。
当然、歩き続けている作品だ。
信藤三雄/Mr.Children「NOT FOUND」

今HP見たらホワイトバンドのアートディレクションってCTPPだったんだ。おーい。
そりゃみんな騙されるわけだ。確かにあのビジュアルには力はあった。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古6日目

そろそろこれが作品として成立しているのか不安になるころ。
新しい台本を稽古して、今までの分を通して見てみる。
あーなんとかわかるんじゃないかなこれで。
説明しすぎるのも嫌だけど想像力開きっぱなしもまずいんだよなー。
あと時間は7分だった。約3分の1か。よかった。
内容的にはようやく枕が終わった頃。
ここから助走をつけてどこまで飛べるかが勝負だ。
助走じゃない助歩だ。
macbook airを見にapple storeに行ったら2月入荷ですと言われた。とほほ。
なんとなくいろいろいじくったりしてみたらword for mac 2008がなんかすごかった。
office for macって頑張ってるよね。キレイだし。
windowsのwordってなんであんなにやぼいんだろ。モノは同じなのに。

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか5」

PVに歩きながら歌う映像が多いのはBPMに関係がある。
歩行に音楽のテンポを合わせればそれだけで楽曲とマッチした映像が出来上がるのだ。
その映像はダンスほど強い主張を持たずに潜在的に我々の音感を刺激することができる。
つまりダンスが「特権的肉体PV」であるとすれば、歩行は「現代肉体PV」なのである。
何を言ってるのか自分でもさっぱりである。
まぁ、決して真似できないダンスに魅了されることもあれば、誰でもできる歩行に手触りを感じることもあるということだ。
参考作品にYUKIの長い夢をリンクしようとしたのだけど思いっきりyoutubeから消されていた。
長い夢だけ。なんで。
というわけで、変更してHALFBY&groovisionsの一連のPVを一挙に紹介したい。
やけくそである。
音に合わせて動きたいという潜在的な欲求がくすぐられる感覚を感じていただけると思う。

groovisionsは音に合わせて歩く(移動する)というモチーフだけでこれだけのPVを作ってみせた。
架空の街、箱庭的おもしろさ、絵柄のポップさ、おもしろいキャラクターなど他の魅力的要素もあるが、
「歩く」という原点がなければこれだけの量産はできなかったはずである。

追記。
5個も動画にリンク張ったらくそ重くなってしまったのでとりあえず消しました。
上の動画から他のHALFBY&groovisions動画も見られます。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古5日目

また写真取り忘れた。
今日は宮永氏がちょっとだけ見学に来た。
10分見ただけで「大変な芝居ですいません」と役者さんに謝って帰って行った。
まぁもし誰か稽古場見学来たい方がいらしたら誰でもメールとかください。
おもに板橋区周辺でやってます。有楽町線。小竹向原とか。あと東武東上線。
かなりつながりの薄い人でも歓迎です。
刈馬カオス氏と電話で話す。
台本の遅れを謝る。舞台平面図を提出せねば。
稽古後デニーズで台本を書いたり。やばい20分に収まらない気がしてきた。
ていうか稽古間に合うのか?
あ、Mac Expoって今日だったのか。作業しながら待つか。

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか4」

なぜ「走る」ではなく「歩く」なのか。
歩く、にはさりげないけなげさが存在するからではないだろうか。
走る、は少々押しつけがましいのである。
また「走り続ける」ことは個人の能力に左右されるが、「歩き続ける」ことはほぼ万人に可能だ。
それゆえに「歩く」という行為がどういうものなのか考える機会はすくない。
今までで一番楽しかった日も、今までで一番悲しかった日も、どこかで1歩は歩いたはずだ。
それはいつもの1歩とは違うのだろうか、それとも同じなのだろうか。
同じ角度で同じ場所に足を置けば、その時に戻れるのだろうか。
そんなことを考えている。
参考資料は松浦雅也/PS「ビブリボン」。
ほら、ビブリのけなげさと愛らしさったらないでしょ?

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古4日目

あーまた写真を取り忘れた。
本日は部屋を斜めに使って実寸プラス2間で稽古。
新しく書いた台本を使って稽古。
チェルフィッチュ以降、モノローグの取り扱いは本当に難しくなってしまった。
あれ以上の提出の仕方って…。ヘタに真似すると本当にヘタになっちゃうし。
だからって携帯電話で話すのももういい加減いいんじゃないだろうか。
今は役者が舞台上で携帯電話を持つとどうしても、あーひとりで喋ってるんだろうなーって思ってしまう。
ひとりなのに会話うまいなー、みたいな。「演劇のオカマ」と命名しよう。
というわけで「あゆみ」流の方法を、発明する。なんとかなるんじゃない。
そのまま次のシーンへ。ここにも別の試みを。ほんと色々試せて楽しい。
アイデアとは複数の問題を解決するものである、っていう名言があって。
連鎖反応で新たなアイデアを創造させるっていうのも、アイデアの条件ではないだろか。
役者の方々が必死で演じる姿が面白い。

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか3」

参考作品は佐藤研?ユーフラテス?/栗コーダーカルテット「おじいさんの11ヶ月」。
前にも紹介したけど。


まぁ、ようは、これまんまってことです。
移動し続けることができる映像であえてフレームを固定して、編集によって再移動してみた。
一方、舞台はあらかじめ固定された空間である。さぁどうするってこと。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古3日目

本日も板橋区にて稽古中。ここでもギリギリ実寸が取れる。でも実寸じゃ正直、意味がないんだよな今回。
前言撤回。やっぱループおもしろいわ。ていうか稽古おもしろいわ。
やってる最中にどんどん新しいやり方とかこうして欲しいっていうのが出てくる。
そして今日、「あゆみ」をやろうとしたときに一番最初に考えてたのに忘れてた表現が結果もうできはじめてて一人興奮する。
しかしこれ、幸か不幸か、やってる人達は全体像がまったくわからないらしい。
えー。これ見て、この一部となって自分が動いてるって思ったら相当楽しいだろうに。
いや、でも、むしろ、その方がいいのかな。色々と。
あ、今も舞台図を見ながら新しいやり方でやりたくなった。
舞台に本番まで行けないというのは、相当つらい。
反面、その厳しい制約が想像力やあたらしい表現を生み出している気がする。

Kc3a0057

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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか2」

「反復かつ連続」と「あゆみ」を自分の中では「新しい季節」シリーズと呼んでいる。
細かい言葉の説明は省くが、要は「今までもあったし誰もが感じている風景・時間を新しい視点で表現する」という極私的なシリーズである。
誰もが知って感じている風景を別の角度で描く。自ずと大衆性や普遍性がついてくる、と考える。
ヒントは「○○をしない人間はいない」だと思う。「反復」は「朝食を食べたことがない人間はいない」という考え方で作った。つまり「反復」は大家族だろうが、一人っ子だろうが誰もが持っている自分の朝食を照らして見られるよう努力した。
では「あゆみ」はどうか。最初は「歩かない人間はいない」という目線だった。
しかし今はより単純化している。「移動しない人間はいない」である。
誰もが体験している「移動」を新しい視点で心地よく描ければと思う。

参考作品はまたもやみんな大好きミシェル・ゴンドリー監督/ケミカルブラザーズ「star guiter」。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古2日目

板橋区のはじめて降りる駅で稽古。広い。ここはすごい。実寸をとって稽古してみる。 はじめは例によって音楽に合わせて歩く。色々ためしながらやって一時間経過。
残りは稽古用テキストからどうやってシーンを作っていけばいいのかのノウハウを探りつつ稽古。
今回は稽古があっという間に終わるな。
楽しくていいのだがしかしだいぶ焦りはじめてきた。やばいんじゃないの今回。できあがるのか。
写真は一回目の稽古。
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現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか1」

現段階であゆみは一切できあがってなどいない。正規の台本は1ページもない。
その「あゆみ」をどうやって作るのか。結果どう完成したかではなく今からいかに完成に導くか。
その一部始終を公開したい。創作とその解説を同時に行う。
なぜだかそんなことをやってみたい気持ちになったのである。
おそらくもう自分には隠すことなどなにもなくなったからかもしれない。でがらしだ。

「あゆみ」はその名の通り、「歩む」演劇である。
演劇は空間を切り取らざるえない。
どこであるとしても、演劇で語られるのはどこかにとどまった場所である。
色んな場所をワープしてどんなに細切れに描いたとしても空間は固定されたものであることには変わらない。
電車内、飛行機内、船上の芝居はどうか。
船が動いていたって甲板が別の場所に変化しているわけではない。
どこでもない場所を描いた芝居はどうか。
いくら抽象化されようが、やはりそこは固定された空間である。
ロードムービーというジャンルがある。どこかに移動し続ける物語だ。
ロード演劇は不可能なのか。
人には移動中でしか語らない事柄があるのではないか。
そられを演劇は描くことができないのだろうか。
「あゆみ」は移動し続ける演劇への挑戦である。

参考作品一発目はみんな大好きミシェル・ゴンドリー監督/カイリーミノーグ「Come into my World」。
「反復かつ連続」の元ネタになった作品である。
全編カメラが移動し続ける。と同時に「ループ」する。
しかし「あゆみ」はループをモチーフとはしない。
ループはもう飽きた。帰結が発端に輪廻する物語はもう飽きた。
移動し続ける者にあるのはどこまでも続く道だと思う。

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■ 劇王Ⅴ「あゆみ」稽古1日目

待ち合わせ場所を間違ってメールする。しょっぱなから。
今回、出演していただくのは前回劇王で実は一番頑張ってた人、内山ちひろ氏。
toi等でお世話になりっぱなしのミユキングこと黒川深雪氏。
そして念願叶って初めてご一緒させていただく中島佳子氏。
軽い打ち合わせ後、稽古。
まずは何をしようとしてるのか、自分がどんなイメージを持っているのか、参考作品を見てもらう。
また舞台の感覚を把握してもらうために最近届いた前年劇王のDVDをちょっとだけ。
一分ほどで止める。自分の作品ほど見れない物はない。しかもこれは色んな意味で死ねるDVDだ。
ということで、まず3人でグルグルとにかく歩いてもらう。
足を合わせて、歩幅を合わせて、スキップ、走って、後ろ向いて、BPMに合わせて、BPMの半分で。
楽しい。頭の中で考えてたことをどんどん実験する。色んなことがわかる。
一時間があっという間に過ぎる。BPMを意識した演技っておもしろいな。
この後、稽古用テキストを使って稽古。
半ページを作るのに1時間かかる。これは前代未聞。
「反復かつ連続」でもここまでではなかったかも。さすがにこれはちょっとわくわくする。
あーどうやっつけるか。というか早く台本を仕上げなければ今から本当に間に合わない。

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□ 謹賀新年

*風邪を
ひいているうちにクリスマスイヴもクリスマスも終わってしまった。
あ、これ見てた。前に一回見たのに…。血の乱交。イエーイ。


*小指値の忘年会
にゲストで出演しました。病み上がりと仕事納めの両立。
「HEAT ISLAND」の宇多丸バースと「ダイナマイトと見せかけて肉体関係」をロックしました。
が、まったくおぼえてない。極度の緊張から飲んでごまかしてたせいか本番直後からまったく記憶なし。
打ち上げもそこそこに横浜からヒーヒー言いながら帰ると雨。濡れながら帰る。

*所沢→練馬→江古田→小竹向原の巡礼
の旅に出る。さすがに所沢→練馬は西武線。なんでこんなことしてたかというと「あゆみ」のための作業。
距離感覚と時間感覚の摺り合わせ。初の一人暮らしをした所沢からはじまって最終的に去年に知り合った人しかいないアトリエ春風舎へ。
一歩ずつ歩きながら現在に近づいたり、過去に遡ったり、未来を感じずつ。
たいていのものが変わってないので途中、気持ち悪くなりつつ歩く。筒井康隆の「鍵」を思い出す。
昔よく食べたものを買い食いしたり、よく行った本屋で立ち読みしたり。

*ファミマのフライドチキン
所沢に住んでたとき近くにファミマがあってよく食べた。そのファミマのフライドチキンには謎の塩胡椒がしてあってすごくおいしい。
で、その後も色々なファミマでフライドチキンを食べたけどその謎の塩胡椒を使ってる店には一店も出会ってない。
久しぶりに行ってみたらやっぱりそのファミマのフライドチキンには塩胡椒がかかっていた。なんでこの店だけ。謎。やっぱおいしかった。

*練馬を引っ越したのは一年前の話
だから正直とくに感慨もない。自転車があればなー。じゃんずのラーメンが食べたかったけど年末だしあきらめた。

*アトリエ春風舎では「革命日記」の稽古をしている
なぜ小竹向原まで歩いたかと言えば青年団若手公演の稽古をしていたからだ。見学させてもらう。
入り所がわからず裏の階段で40分ぐらい息を殺して稽古を盗み聞き。その後登場。4時間ほど見学。おもしろかった。
ここのところモチベーションなんてもともとないのにどんどん下がりっぱなしでもうやばかったけど稽古見てるうちにやる気らしきものが。
今にして思えばそれも気のせいな気もするけど。なんとなく飲んで終電で帰る。

*岡野君とみほいさんが出ている芝居
を30日に見に行った。

*大晦日
家でじっとしてたら宮永氏からお呼びが。見捨てられてなかった。
森氏の家でちょっと鍋して、中野の元バームクーヘンの人達が溜まってる所へ。
もう何年も大晦日は同じ様なメンツで飲んでる気がしていまがいつの大晦日かよくわからなくなる。
年越してカラオケ。ルーティンすぎるだろ。もう何回目だよこのパターン。

*相棒
を見てしまう。元旦に鉄道殺人って。去年も見ちゃった気がするなー相棒。
この元旦スペシャルシリーズは毎回本格臭がするからどうしてもひかれるのだ。
そして最後はなんかガッカリするのだ。不可能殺人にしちゃえばいいのに。
ロジックで押すにはひねりがなくていまいち。って別にいいのか。

*中目黒ラジオ
聞き逃した。相棒見てる場合じゃなかった。

*TBSラジオの年越しは「宇多丸のウィークエンドシャッフルSP」
ミィツィー申し訳、MC仁義、掟ポルシェのDJミックスって。年越しライブはサ上とロ吉。
正気の沙汰じゃない。ニコニコにて聞く。あーリアルタイムでちょっと聞きたかったなこれは。
やっぱサ上とロ吉はいいライブするなー。結束って鉄則になって今年も続いてたのか。いいことだ。
サイプレス吉野ってうける。だいじょうぶ、未来は暗くない。

*「火宅か修羅か」と青年団新年会
が、まったくおぼえてない。緊張をアルコールでごまかすのはいい加減からだがもたない。
過度な頭痛に悩まされながら帰宅。翌日、会う人全員に「だいじょうぶ?」と言われる。だいじょうぶじゃないです。

*あけおめメールに一切返信できてない
もう四日も終わるというのに。あ、今日になってお雑煮を作った。
今村氏が借りてきた「アダプテーション」を現実逃避で見る。二回目。
あぁ、これってシナリオ的に完璧だったんだなぁ。いやんなる。


色んなことをほったらかしすぎてどこから手をつけていいのかわかんない。

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