雨の山手線に乗りながら、中野さんがやっていることってまさにDJなのではないだろうかと思った。それは中野さんがブログでこの「ハヤワサ号」はフランケンズのアンセムであるという表現をしていたから思いついたことなんだけど。レコード盤を掘るように戯曲をディグしてきて、誤意訳というremixをほどこして再誕生させる。どれだけ大胆に新構築しても、オリジナルへのリスペクトは揺るがない。サンプリングのど真ん中。「サンプリングなど新しい手法をうんぬんかんぬん」とか自分のプロフィールにも書いてたけど、でも中野さんは、それを10年も前からやっていたのだ。と、劇場に向かう電車でふと思いついて、勝手に恐れ入ったりする。
そもそも、この感想はどーしても偏った感じになってしまう。だって、僕はワイルダーファンで、原曲も聞き込んでて、その戯曲で長年フロアを湧かせてきた中野さんの、最新remixですよ。たまらないでしょ。だから客入れから楽しもうと早めに劇場に行ったら、開演時間を間違えてて1時間も早く行ってしまったのだった。
で、観劇したわけだけど、結論から言うと誤意訳がまじでハンパなかった。誤意訳とは中野さんが作った誤訳+意訳の造語なのだけど、その意味がようやくちゃんとわかりました。それは語尾を変えるとか、台本をカットするとかそんなレベルじゃない、本当に誤訳・意訳して、原作をリスペクトしつつ、新作を作ることだったのだ。「44マクベス」のときはそれほどマクベスにもシェイクスピアにも興味がなかったから、ちゃんとわからなかった。でも今回のワイルダーは原作を何回も読んでいたおかげで、ようやくその凄みに気がついたのです。遅い。原作から、そのコースを外れず、でも広げて、そして、どこまで遠くへ飛べるか。それが誤意訳。
きっとワイルダーの原作なんて読んでない人がほとんどだし、それでいいと思うのだけど、でも中野さんの功績はちゃんと伝えたい。この作品の半分以上は中野さんの創作であり、この作品は現代日本で生まれた作品であり、そして間違いなくワイルダーの「寝台特急ハヤワサ号」。本当そのままやったらこの作品は40分ぐらいなんだけど、今回の上演時間は80分。でも、どこを切ってもワイルダーの血が流れてる。ここがすごい。きっと何も知らないお客さんはこの台本を全部、ワイルダーが書いたのだと思うだろうけど、ある意味それは間違ってない。確かにこれは全部、ワイルダーの作品なんです!
言葉遣いも、シーンの構成も、すべて中野さんによるワイルダー愛にあふれた手腕で、本当に感動しました。舞台美術の仕掛けも目から鱗で。中野さんの世界観はいつもユーモアが溢れていて、すばらしいと思いました。ユーモアこそ、現代に忘れてはいけない武器だと思います。ジョークじゃなくて、ユーモア。どんな状況にもユーモアの目線を忘れない。ただ笑わせるためじゃなくて、ひねくれてるんだけど、愛のある目線。そして、中野さんのその姿勢に、フランケンズという劇団のメンバーが全身で答えてるのが素敵だった。劇団っていいなあって心底、思いました。うらやましくなりました。全員が大切な要素として、劇を満たしていた。ワイルダーファンだった僕は観劇後、フランケンズのファンにもなっていたのでした。
遅くなりましたがフランケンズの公演情報はこちらです。
終わってから、中野さんがまさに自分の仕事をDJ的であると言って驚いたのでした。そう、演劇が音楽と親和性を持つとかボーダレスになるとかって単純に劇中に曲かけまくるとか生演奏と一緒にやるとかそういうことじゃなくて、音楽を扱う手さばきで、態度で、演劇に向きあうとどうなるかという挑戦に向けられるべき言葉じゃん、とか、思ったのでした。
というわけで、7月に僕もtoiで誤意訳すると無謀にも宣言してしまったわけだけど、今は頭を抱えつつ、わくわくしている次第です。うわー。えらいこと言っちゃったなぁ。でも何が出来るだろうと興奮してる、こーゆー感じ久しぶりだ。しかもみゆきんぐが選んだキャストがわけわかんないことになってて、こないだ神里くんにちょっと言われちゃったけどそれはしょうがない岡崎藝術座経験者多すぎだもんだって!でも岡崎で見た俳優さんは全員、ほんと魅力的に見えるんですよ。だからしょうがないよ。きっと。神里くんの演出が成功してるせいだよ、それは。みゆきんぐも岡崎で役者さんに一目惚れしまくってるんですよ。
あと中野さんから急な坂のレジデントを、別にそういうわけじゃないけどでも結果として、引き継ぐ形になったのもとても印象深く。
その件についてちゃんとまとまったことを書こうと思っていたので、ちゃんとはしてませんが、書いてみます。
もともとSTスポットのレジデントだったと思うんですけど、その情報や、中野さんや岡田さんの対談をSTスポットのHPで見て、当時の僕は劇場が作家をレジデントするなんていう発想がなかったので、はーそんなこともあるもんなんだなーとやけに感心して、いいなーうらやましいなーきっと劇場費がかからないんだなと素直に思った覚えがあります。
その後、僕は青年団演出部に入って、半分アゴラ劇場のレジデントというか、まぁ、アトリエ春風舎やその他、稽古場などを使っていたわけで、そこであらためて、拠点や基地があることのメリットを痛感しました。稽古場代や劇場費などお金の話もありますがそれよりも、作品をつくるということは、その工房というか、作る場所と切っても切れない関係で、創作のための場所がただ「ある」というだけで、できることが格段に増える、創造のレベルが上がるということを知ったのでした。
それから3年ほどはおもにアゴラのある東京を拠点にし、東京で作品を発表してきたわけですが、その現状にも色々と思うようになりました。一番に思うことは、僕がここにいて作品を発表している意味ってあるんだろうかということです。東京には演劇作品も劇場も団体もいっぱいあるし、誰も全部見られないぐらいだし、面白い作品も、挑戦的な作品もあって、その気になれば東京に住んでいる人は今日の夜にでも面白い舞台を劇場に見に行けます。そんな場所なら、別に僕がいなくなっても何も変わらないんじゃないかと。ポジティブな意味で。僕がよそへ行っても、面白い劇団も作家も演出家もいてくれるし、きっと作品は変わらず毎週のように上演されるだろうと。って考えたときに、じゃあ、僕がかつていた町や、通り過ぎた町はいったいどうなっているんだろうかと思ったのです。その町にいる人達はどうしてるんだろう、と。
そして、どこで作るかということと同じぐらい、誰と作るか、誰に見せるか、というのも大事なことなのだと思い始めたのでした。
だから今までは特に何も考えず、とりあえず東京で、一緒にやりたい人と作って、たくさんの人に見せたいと思ったのですが、そこをもう少し、考えてみようと思ったのです。特に決まった考えがあるわけではなく、当たり前に思っていたことをもう少し考えようと。そして願わくばいつか僕が必要とするところ、僕を必要としている場所で活動したいと。そこがどこで、誰かはまだハッキリわかりませんが、そんなこともあって、今年はまぁ、実家もありますので、地元に帰って作品をつくってみようと思ったわけです。そんなときに急な坂から声をかけていただきました。
だから、まず最初に声をかけてもらったということで、率直にうれしかったし、そんなに東京から離れてないけど、でも最初はきっとこれぐらいがいいのだし、STや急な坂へはリスペクトもありましたし、まず東京を離れて拠点を探す第一歩として、レジデントをお引き受けさせていただいた所存です。もうすでに青年団演出部には新人が多く入っていて、僕が3年前に受けた恩恵を、新しい人たちに譲るべきだということもうすうす気がついてたし…。
あ、べつにかならずしも東京外に行きたいわけではなくて、東京でもきっとこの土地、この場所、この人々、と思えるところならいいのでしょうね。
というわけで、まずは横浜で作品を作って、横浜で発表することからはじめようと思います。
ここがどこで、いつなのか、無視しないでユーモアでくるんで作品にしてしまうような、そんな中野さんの姿勢を引き継げたらと思っています。